いだきとの出会い
1995年1月17日、忘れもしない阪神大震災。その前
の年、ソード時代の大好きな先輩である植月さんから「凄
い人に出会ったよ」と一本の電話が入りました。「ピアノ
をパラパラっと弾いてくれて、それで運命変わっちゃうん
だよ。経営者の講座をやってるから、鹿島も受けてみなよ
」って。「斎藤忠光さんっていう人だよ」って。
斎藤忠光(アーティスト名いだきしん)さんは、生まれな
がらに人のことを自分のことのようにわかる方でした。人
の内面と斎藤忠光さんの内面が感応して交流を始めると、
人に問題解決能力が生まれ、どんどん強化されるのだそう
です。
人は生まれながらにして光り輝いて生まれ、それがだんだ
んと覆いがかぶさるようにして曇っていくとのこと。この
内面の曇りを、講座の主催者でありシャーマンであられる
高麗恵子さんが言葉で表現され、それを斎藤忠光さんが感
応し受け容れてピアノで表現してくださることで解放され
て、生まれた時の輝きを取り戻すというのです。そして、
光り輝いた本来の自分自身の状態で一から人生、経営を考
え、実行していく講座なのです。
素晴らしいではありませんか。迷いなく受講し、兄、家内
、長男、長女、次女、父と受講させていただきました。新
しい人生が始まったのです。
いだきしん先生(本名斎藤忠光さん)と高麗恵子さんは、
世界の平和を願い、世界中でコンサート活動をされていま
す。エチオピアでのコンサートに先立ち、エチオピア視察
の旅に同行させて戴きました。初めてのアフリカの大地、
期待と不安と、先生、高麗さんと共に歩めるという喜びの
中、視察と撮影の旅が始まりました。
エチオピアは、人類発祥の地であると同時に、コーヒー発

祥の地でもあるのです。エチオピアの言葉のひとつである
アムハラ語で、煎じ出すことを「カフア」と言います。そ
れが中東に渡り、「カファ」が飲み物を指す言葉となりま
した。そしてヨーロッパに渡り、コーヒーのことを「カフ
ェ」と呼ぶようになったのです。エチオピアのコーヒー発
祥の地は、カッファ地方と呼ばれています。
エチオピアには、伝統的なコーヒーセレモニーと呼ばれる
おもてなしがあります。まずは炭火でお香を炊き、「さあ
始まりますよ」とお知らせします。そしてコーヒーの生豆
を水で洗い、土器や鉄製のフライパンでコーヒー豆を煎っ
て行くのです。しばらくすると、パチパチとハゼが始まり
ます。程よく色付いてきたら火から下ろし、煙の立ち上が
るフライパンを手に持ち、香りをお客様に嗅いでいただき
ます。鼻から入る香りは、とても心地よいのです。香りを
みんなで共有するのです。そして少し細長い臼にコーヒー
豆を入れ、杵で潰していくのです。豆が潰れるのを待つ間
、少し塩味の効いた素朴な焼き菓子のような、パンのよう
なものが配られます。コーヒー豆が微粉状に細かくなった
ら、土で作られた壺に水が入っているその中にコーヒー粉
を入れ、炭火の上に乗せるのです。湯気が立ち始め、壺に
蓋をしている浮きのような栓が蒸気でコトコト動きはじめ
たら出来上がりです。少し粉を落ち着かせ、デミタスカッ
プぐらいの小さなカップに人数分を注いでいくのです。こ
れが1回目のおもてなしです。口に含んだ瞬間、私は驚き
ました。美味しい。今まで体験したことのないコーヒー。
口に含み立ち上がる香り、とろみを感じる舌触り、飲み終
わった後の幸福感・・・。幸せです。一杯目が配られたあ
と、さらに壺に水を足し、炭火にかけるのです。そしてま
たコトコトと蒸気が浮のような栓を持ち上げたら出来上が
りです。当然ながら先ほどのものより薄いのです。それで

も素敵な香りです。そしてまた水を加え、火にかけコトコ
ト・・・。三杯目は、さらにあっさりハーブティーのよう
な優しさ。およそ2時間ぐらいかけ、会話を楽しみながら
コーヒーを楽しむ、まさに儀式のようなお茶会です。カフ
ェの原点のような、日本の茶道に通じるような素敵なコー
ヒーセレモニー。エチオピアの文化の奥深さを感じられる
ひとときです。
良い意味でショックを受け、こんなコーヒー初めて!と深
く感動したのはいまだに五感に刻まれています。
斎藤先生の働きのわかる重大なエピソードをお話したいと
考えます。
その日は、池袋で高麗さんの催しが開催される予定でした
ので、前日にイベントの荷物を積み込んだ車で出発の準備
をしておりました。
その時、父が意識を無くして危篤状態となり、都立府中病
院のICUに運ばれたと連絡が入りました。すぐ斎藤先生の
会社である株式会社いだきに電話をし、先生に連絡をとっ
て頂きました。幸い先生は、スタジオにいらっしゃいまし
た。すぐにピアノを弾いてくださったようです。私は急い
で病院のICU病棟に駆けつけました。しばらくすると先生
の会社の方からお電話いただき、先生の伝言をお聞きしま
した。「もうお父さんは、大丈夫だから」と・・・。
父が意識が戻ったのだとわかり、私は病院をあとにして、
大事なイベントの荷物を運ぶために会場に向かったのです

翌日病室に行くと、興奮した父から次のような話を聞きま
した。「昨日、車椅子に乗っていたら、後ろからドーンと
突き落とされて下に落ちていったんだよ。すると綺麗な川
があって、花がいっぱい咲いていて、それは三途の川だっ

てわかったんだ。そうしたら、斎藤先生のピアノのような
光が下からまっすぐ伸びてきたんだよ。その途端、黄金の
椅子に乗って、上に上にと上がっていたんだ。すごく遠い
から、途中で一度真っ暗な部屋で休んで、また一気に上に
上がっていったんだよ。気がついたら目が覚めた。綺麗だ
ったんだよ。絵に描きたい」と・・・。興奮した父は、一
気に話し終えました。私は、父を通して奇跡を経験しまし
た。斎藤先生、ありがとうございます。
斎藤先生は、距離など関係なく人と内面が感応し、交流し
て人の心身の状態を変えていけるのです。この状態こそ愛
そのものです。
いだきとの出会い。私にとって何よりも中心にあり、これ
からもあり続ける出会いなのです。

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