私は,6年間在籍した青山学院大学経営学部を卒業と同時に、当時(1986年4月)話題のベンチャー企業SORD(Soft & Hard)ソードというパソコンを日本で初めて作った会社に入社し、運よく時の人 ベンチャーの雄 椎名社長の秘書の一人として社長室に配属されました。そして2年目に社長の鞄持ちとしてアメリカニューヨーク ロンドン ロサンゼルスに出張の機会があり、入社2年目で大変貴重な経験をさせていただきました。NYロンドン間は、日帰りでコンコルドで移動 往復コンコルドでラウンジ待合室では、ホテルのラウンジのようなVIP待遇、機内食も陶器のお皿で一流シェフの料理が出てきます。機内は、日本の一部上場企業の役員、世界中のお金持ちたちがおり、私のような24歳の若僧は一人もおりません。ラウンジでは、椎名社長に挨拶をと名刺交換に人が集まるほど有名な方でした。アメリカでもその名は轟き、現地でも本でも紹介されるほどの方でした。日本のビジネス書や雑誌では、毎週のように取り上げられ、まさに時の人でした。何か起こす時は、何かが降りてくるように文章を書き、各部署に指示書が回って、会社が動いていく感じでした。
出張前に私が留学時代の友人がアメリカカリフォルニアサンタクルーズでアイスクリームとエスプレッソの店を開いたことを聞いていました。サンタクルーズは、私が1982年7月から9ヶ月短期留学して大学の代表チームでサッカーをしていたところです。ヒッピー文化が根強く残っていて、サーフィンのウェットスーツの発祥の地でもあります。ジャックオニールという方が発売したオニールウェットスーツがそれです。スケートボードSANTA CRUZというメーカーもあり世界的に有名です。私が9ヶ月過ごして大きな影響を受けた地です。サンタクルーズでは、サーフィンとサッカー三昧でした。ヒッピーカルチャーの洗礼を受けたのもこの地です。
出張前に椎名社長とお話し、サンタクルーズに一緒に行きアメリカの今新しいトレンドであるジェラートショップを見に行来ましょうとご提案し一緒に行くことことになっておりました。しかし、社長は、会社の合弁の話が最終段階となり、急遽日本に帰国することになってしまいました。当時、IBMやNECがパソコン事業に進出し、もちろんAPPLEも日本ん進出しておりました。50%以上あったシェアーが30%代に落ち込み 体制を整えなくてはならなくなり、パソコン事業に参入したい企業OLIVETTI や東芝が合弁吸収に名乗りを挙げており、最終的に東芝の傘下に収まったのです。
そんなことで私は、残りの出張を一人でサンタクルーズへと向かったのです。
ロサンゼルスからサンタクルーズへは、サンタクルーズ時代の友人で 今は、ビバリーヒルズに住むジェイソンサビルとレンタカーを借り向かいました。ジェイソンは、1986年にしばらく日本に来ていてうちの実家に居候をしていました。アメリカに帰国にあたり成田に送って行くまさに、車の中で共通の友人であるショーンが今アイスクリームショップを開いたよっていう情報をくれた張本人です。
かと一緒にサンタクルーズに向かう道中は、とても懐かしく一気に学生時代に戻ったようです。
サンタクルーズにつき、向かったのは、ダウンタウンのメインストリートにあるDonatello’sドナテロウズ 住所は忘れましたが、番地は713と記憶してます。私の母方のおばあちゃんの誕生日が7月13日だったので覚えやすく今でも記憶してます。
Ice cream & espresso Donatello’s
ガラス張りの入り口に、白と黒の市松模様の床 正面にジェラートショーケース カウンター奥には、CONTIのイタリア製レバー式エスプレッソマシーン
カップに3フレーバーを盛り合わせるイタリアンスタイル。壁には、アート作品 手洗いの水道の蛇口は、タコのアールヌーボー風の真鍮のオブジェとなっておりました。そうなんです、そのタコのアールヌーボー風の作品は、ドナテロウズの共同経営者の一人ショーンモナハンが創ったものでした。彼は、カルフォルニア州立大学サンタクルーズ校の美術学部で彫刻を専攻していて同校のクレスギーカレッジを卒業(私も最後のクオーターは、クレスギーカレッジのドミトリーで生活)した友人でした。彼は、ルネッサンス時代の彫刻家ドナテロを尊敬していて、お店の名前もドナテロウズとしたのです。
ジェラートやespressoを飲みながら素敵な人たちが集ったとても雰囲気の良い空間でした。壁には、定期的に地元アーティストの作品が展示され、素敵な大人な空間でした。
私が訪れたのは、夜でしたが、ピンと来ました。これを日本で展開したい。
その頃日本では、1984年11月にハーゲンダッツ青山店がオープンし行列を作っていました。
カリフォルニアでは、サンフランシスコを中心に、イタリアンジェラートのお店がいくつもでき、ちょっとしたジェラートブームが起きていたのです。
日本にもこの流れが来ると考え、彼らに話をし、一緒に日本で展開をしようと持ちかけ、その後提携をしたのが、私のアイスクリームビジネスへのきっかけとなったのです。
そしてドナテロウズジャパンは、全国に28店舗までお店を出すことに成功したのです。